愛着障害「相手の気持ちがわからない」

愛着障害の人は両極端で判断しやすい二分法的な傾向、総合評価が苦手なところがあります。たとえば、好きな人にも大きな欠点があったり、嫌いな人にも良いところがあるということを認識しにくく感じます。

このような二分法的な認知は、全体を総合して考慮することを苦手とします。たとえば、自分が好意を抱いている、欠点などないと思える理想の人がいたとします。もし、その人からたった一度だけ不快な思いをさせられたときにどのように感じますか。

安定した愛着スタイルの持ち主なら、不快な思いをさせられたとしても、その人のことはまだプラス評価なので、その人に対して許し、今までどおりに接することができます。

しかし愛着障害の人の場合、たった一度の不快なその行為だけで、その人のことは嫌いになり、全否定します。部分的な評価がすべてになってしまいます。

好意を抱いていたその人の良い特質、それまでその人がしてくれた良いことは一瞬ですべて帳消しになるのです。

乳児も部分判断

このような部分に基づいた評価は乳児に普通に見られます。それはずっと続くわけではなく、成長とともに相手を全体的な存在として見ることができるようになります。

次のような例を考えてみてください。母親がいたずらをした我が子に対して、叱りながらも目に涙を浮かべています。

発達途上にある「部分評価」をする幼児の場合、「自分がした行為」と「親によって自分が叱られている」ことを結びつけて捉えるくらいはできます。

このような体験を通して、「自分がある行動をとる」→「叱られる」という条件付けを学ぶことができます。

しかしこの段階で、「なぜ自分が叱られているのか」「なぜ母親は目に涙を浮かべているのか」といったことを理解することはできません。

成長とともに部分評価から総合評価ができるようになる

そのような子どもも成長とともに少しずつ全体評価ができるようになります。自分の行為に対して母親は怒っているだけでなく、悲しんでもいることがわかるようになります。

こうして全体像が見えてくるようになった子どもは「ある行為をすると叱られる」という条件付けだけでなく、「自分が悪いことをして母親を悲しませてしまった」ことを理解できるようになります。

その結果、自分も悲しい気持ちになり、後悔の念や自責の念といった感情が生じ、真の反省や行動の制御へとつながってゆきます。

共感性

乳児が持つような部分評価と総合評価にはどのような隔たりがあるのでしょうか。それは「相手の気持ちがわかるかどうか」、「共感性があるか」と言い換えることができます。

乳児が持つような部分評価の場合、相手の気持ちがわからず、共感性に欠けている状態です。愛着障害の人の場合、相手の気持ちに対する共感性が未発達な傾向を示します。

部分評価→全体評価という成長ができていない状態です。ですから相手の立場になって、その気持ちを考えることが苦手なのです。

恋愛において

このような共感性の未発達傾向は、恋愛などの場面で特定の歪みを生じやすくなります。安定型の愛着を持つ健全な愛情の場合、相手に対する思いやりや配慮や尊敬といった内面的な要素と、相手の身体的な魅力といった外面的な要素とが一体化したものです。

そのように総合評価すると、相手の心も身体も含めた存在全体を愛することができます。しかし愛着障害の場合、全体評価は未発達なので、存在全体を愛することは難しくなります。

極端に言うと、愛するのは相手の特定の部分だけということも起こり得るのです。恋愛しているその対象は、相手が女性の場合、身体の中でも綺麗な髪だけ、乳房だけ、脚だけという場合もあります。

共感性に欠けるため、相手の心にはほとんど関心がなく、容姿や家柄、学歴が恋愛対象ということもあり得るのです。

このように愛着障害の人の場合、共感性が未発達なため「相手の気持ちがよくわからない」ということ、全体を総合した評価を下しにくいため、一部分だけをクローズアップして総合評価にしてしまうことがあります。