自己愛性パーソナリティ障害 克服のためにできること

克服してゆく

自己愛性パーソナリティ障害の克服のためにどんなことができるでしょうか。これも他のパーソナリティ障害と同様、他人が変化させることはできず、本人が変わろうとするときにはじめて改善されます。では、自己愛性パーソナリティ障害の人が変化するために必要な事柄に注目してみましょう。

他人の言うことに耳を傾ける

「自分こそ特別で、賞賛に値する」と本気で信じる自己愛性パーソナリティ障害の人が苦手とするのは、他人の言うことに耳を傾けることです。残念ながら、「とりあえず聞いてみて、考えてから判断する」という段階にすら到達していません。はじめから聞こうとさえしないのです。

他人の述べることが全部無価値なのでしょうか。そのようなことはないはずです。ちょっとしたアドバイスや助言が失敗を避けたり、生活の質を向上したりするのに役立つことがあります。

自己愛性パーソナリティ障害の人は、自分自身を重要視するあまり、知らないうちに見方が狭くなっています。本来なら見えるものでも、見えなくなることにより、得られるはずの成功にうまくたどりつけなかったり、潜在能力を発揮できないままだったりします。

他人から学ぶことにより、さらなる成長を遂げることができるのは、どんな人間にも当てはまる共通の原則です。他人のつまらないと思える意見であっても、もしかしたら学べることが秘められているかもしれないのです。

自己愛性パーソナリティ障害の人は実際、優れた才能や高い能力を秘めていることが多いので、それらを開花させるためにも、謙虚に他人の意見に耳を傾けるのはよいことです。

一緒に取り組む

自己愛性パーソナリティ障害の人は集団で何かに取り組むことを苦手とします。チームとして取り組むと、スポーツにしても、共同の仕事や学業にしても、個人の失敗はチーム全体に響き、容赦ない酷評を受けます。

逆ギレすることなく、それらに耐えるとき、当人の内から自己愛性は剥ぎ取られ、協調的な人間へと鍛え直されます。また、個人の成功やチームメイトへのアシストがチーム全体の成功に結びつくので、喜びを分け合うということができます。

そこで、チームメイトの成功をあいかわらず嫉妬するでしょうか。それともチーム全体の成功を喜べるでしょうか。チームメイトの失敗をここぞとばかりに攻撃するでしょうか。それとも原因追求や、改善のためにアイデアを出したり、自分にできる最善は何かと考えたりするでしょうか。

集団の中での考え方や行動の仕方によって、自己愛性パーソナリティ障害の症状を弱めることができます。しかし、せっかくの自己愛性パーソナリティ障害を克服する良い機会ですが、往々にして当人はこのような集団で活動することを避け、個人あるいは2人の活動で収まることを好みます。

他人のために生きる

自己愛性パーソナリティ障害の人は今まで自分のためだけに生きてきました。他人のために生きるのは今までとは正反対の生き方です。見方によっては、正反対というより、自我を超越していくと捉えることもできます。

自己愛性パーソナリティ障害を抱えた人はしばしば、それまでの価値や囚われを捨て、新しい自分を確立しようとする試みに取り組もうとします。

結局のところ、自己愛性パーソナリティ障害を抱えていては幸せではないので、自ら変わろうとするときがあるのです。それは、他者への献身や社会的なボランティアのような活動かもしれません。

どのような形にせよ、自己愛という次元を超えた人類愛や宗教的な精神のようなものに自分への囚われを解放してゆこうとする試みです。その試みは成功するかもしれませんし、失敗することもあります。

しかし、そのように、一度すべてを捨て去って、新しい自分を自分の意志で身につけようとする段階は、自己愛性パーソナリティ障害を持つ人が生き直すうえで、とても重要な意味があります。

身につけられる新しい生き方とは、やはり自分のためだけに生きず、他人のために生きることです。人生で一度も経験したことのないようなその境地に至ることにより、自己愛性パーソナリティ障害の残骸ととも新しい生き方ができるのです。