回避性愛着障害 責任に縛られるのが嫌

責任がいや

自由でいたい

回避性愛着障害の人は、他人との親密な関係を避けようとするだけでなく、責任を嫌います。

責任がかかると、逃れられない重圧や、もしものときに自分が犠牲にならなければならないということで、いつもプレッシャーにさらされることになります。

回避性の人は、そのような逃げ道のないプレッシャーのもとでチャレンジするより、いつでも逃げ出せるような束縛のない状況のほうが安心できるのです。

特に放置されて育った人のようなネグレクト型の回避スタイルの場合は、この傾向が強くでます。

ちょうど野良犬が人に飼われ、犬小屋、餌、散歩といった要素を用意されても、その生活が窮屈で耐え難いのと同様、回避性愛着スタイルの人も縛られることなく、自由に生きてゆきたいという強い願いがあります。

一般的に、責任が増える機会といえば、就職、昇進や結婚、親になるといったことで、その多くは喜ばしい出来事として捉えられています。

しかし、回避型の人にとっては、喜ばしいどころか、人生の自由の縮小にすぎません。

一応、社会的なしきたりや常識、世間の価値観などに合わせて暮らしているかもしれませんが、心の奥底では、締め付けられるようなきついものを感じています。笑顔の裏側には、生き埋めにされているかのような息苦しさを感じているのです。

支配型の親に育てられた回避性の場合

親が支配的で、何でも親のいうとおりにするような育てられ方をした場合も、やはり責任を避けようとします。

育てられたそのスタイルゆえに、このタイプの人にとって人生は、ムチをふるわれ、親の意向や願いに沿って走らされてきた苦痛そのものです。

子供時代が終了する頃には、もう親の言いなりとなり、やらされることに飽き飽きしています。

今まで、自分から何かにチャレンジさせてもらう機会がなく、親の定めた合格線に達しないだけで責められ続けたので、その行動パターンが知らないうちに定着しています。

ですから、新たな役割や責任に縛られて、新しくチャレンジする機会に対し、臆病になっています。そういう理由からこのタイプの人は、責任を避けようとします。

責任を受け入れて生活している回避型愛着スタイル

回避性愛着障害は基本的に責任に縛られることを苦手としますが、そのような人でも結婚し、親になり、会社でも要職に就き、社交的だったりして、一見普通に見えることがあります。

回避のレベルや、愛着スタイル以外の要素も多くあるため、「必ず」という線引きは難しいところがあります。

ただ、一見普通に見えるような人でも、一歩踏み込んでプライベートな領域を見ると、実は、親友と呼べるような友人が一人もいないことや、家族内で会話らしい会話もないこと、性生活が皆無だったり、自分の趣味に没頭して他のことは任せっきりなどという問題が見えてきます。

そこには、本来の意味で親密かつ、責任ある関係を避け、人間的な暖かさや優しさとはかけ離れた生活を送っている回避型愛着スタイルの人が存在しています。